なだいなださんのエッセー      (なださんは2013年6月6日ご逝去されました)


 トラストの集いでのなださん
 
 
 

  ぼくは、なんども台の緑地を歩きました。最初は驚き。鎌倉に、こんな自然がまだ残されていた!二度目歩いて、えっ、こんなものもある。あんなものもある。また、驚き、三度目にどうしてこれが見えなかったの、という驚き。四度目も驚き。季節の流れ、時の流れが見えてきた。そして五度目、六度目、いつの間にか、自分の中に、この自然への愛着の芽生えを見つけた驚き。これは、ぼくの子ども時代の原風景じゃないか。
いっしょに歩く若い人たちは、いい年をした老人が子どもに帰ったような、眼の輝きをしているのを見て、驚くだろう。これが昔の日本のありふれた野山だったの!
何度歩いても、だれが歩いても、驚きが待っているのが台の緑地です。
 

  日本にも緑の党が出来るといい
医者に限らず専門バカは困ったものだが自然保護も広い視野で考えなければならない。鎌倉市の三大緑地は守られたが比較的狭い緑地は次々と破壊されている。また鎌倉市だけ守られれば良いというわけではなく日本中、世界中のみどりを考えなければならない。ヨーロッパには環境政党があり政治の舵取りの役目を果たしている。日本でも自然環境全般を考える「みどりの党」のようなものが出来ていってほしい。理事長は辞めたが今後も少しはなれた立場で手伝っていきたい。

歩く会100回の感想          
                                       なだ いなだ

「なださん、あるく会は、まだ続いていますか」そう聞かれることがある。

「ええ、ぼくが引退したあとも、ちゃんと続いてますよ」と答えながら、《北鎌倉の景観を後世に伝える基金》の歩く会も、もう百回を突破したか、と驚いている。ぼくは、理事長を辞任してからあと、参加していないが、それでもずっと続いていることを誇りに思っている。

カラスの勝手でしょうみたいに、ぼくが勝手に誇りに思っているのだが、一緒に始めた仲間のものたち全員も、同じように誇りに思っているのではないだろうか。

ぼくは、みなが、台の緑地を愛してしまったのだと思う。《何十回も歩けば、歩いているうちに、この自然を守ろうという気持ちもわいてくる》そういってやり始めたことだが、みな、ほんとうに愛してしまったのだな、と思う。

同じ場所を、何十回も歩いた経験はあまりないだろう。それをやった台の緑地は、気がついたら、もう人生の一部になってしまっているはずだ。

ぼくもそうだ。ジャーナリストたちを案内したことがあったが、いつの間にか、自分の説明が、自分の財産というか、自分の一部を自慢しているような口調になっているのに気付いて苦笑したこともある。

ぼくは体力的にちょっと自信がなくなって、参加しなくなったが、それでも、あの谷間に下りて、毎回、どこに鎌倉は行ってしまったのだろう、と思うくらい深い静寂を感じる一瞬を思い出す。案内した人から

「へえ、鎌倉にこんなところがあったんだ」という嘆声を聞いたときの、自分の誇らしげな気分も、思い出すたびに戻ってくる。

そして、これが、この保全運動をやっている余得なのだと思う。所有していないのに、勝手に、この自然が自分のもののように思えてくるなんて、やっぱり得だ。保全運動をしている人間の味わうことのできる贅沢だと思う。

エベレストの登山家マロリーが、《いくら高い山に登っても、結局は降りてきてしまうのでしょう》といわれたとき、《いや人間は、山を一メートル登るとき、こころの中で、なにかを一メートル登っている。山は降りなければならないが、こころの中の一メートルは降りることはない》と答えた。この台峯の緑を保全する運動で、ぼくはその言葉を思い出す。台峯の緑を守ることで、ぼくたちも自分のこころの中の緑を守っているのだ。そのこころの中の緑は、ぼくたちが老いて、台の峰や谷を歩けなくなっても、いつまでも残っていて、消えることはない。


  なださんの若者への呼びかけ『一緒に歩かないか』(朝日新聞より) 2004年9月26日


  2012年11月23日「会員の集い」におけるなだいなださんのお話
約17分の音声ファイルです。

http://www.kitakamakura-daimine-trust.org/nada_inada_san/2012_11_23_nadasan/121123_00.mp3
なださんのお話の冒頭、書籍の紹介をされています。「戦後史のしんそう」と言われていますが、「戦後史の正体」が正しい書名です。